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Date:2012.03.11
震災から一年。
未曾有の大震災から一年になります。
今なお多くの避難生活をされてる方。
三千人以上の行方不明の方がいらっしゃいます。
私たちは幸い家も家族も失うことなく生活できてますので本当に幸せなことだと思います。
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《この一年、何ができたか》
震災当日は何もできず、家族と社員の無事を確認するのが精いっぱいでした。
幸い会社も自宅も社員の家も大きな被害はなく、その日は早めに帰宅させました。
翌朝、6時前から全顧客の家へ社員で分担しながら被害状況確認の電話をしました。
まだ停電で繋がらない方もたくさんいらっしゃいました。
朝一番でブルーシートを多数確保し、不足分は他県の同業者仲間に送って戴きました。
こうしてシートを数百枚確保し、自社スタッフと職人さんを収集し、チームに分かれ危険箇所の応急処置に廻ります。
巡回するごとに被害状況の現実が分かったきました。
一週間で修復依頼や問い合わせが百件以上に増え、どこから手をつけたらいいかわからない状態になりました。
震災後は全ての打合せをキャンセルし、通常業務は殆どできない状態。
数日後には燃料不足で、処置に伺いたくても行けないことも続きました。
進行中現場では資材不足があり全ての現場で工期の延長、着工の延長になりました。
震災から二ヶ月間は殆どが応急処置と耐震調査診断で、修復作業までは出が付けられませんでした。
その途中でも大きな余震は繰り返し、被害を受けたお住まいの皆さんはさぞ不安だったことと思います。
応急処置や診断では私たちも費用を戴くことなく進めていました。 こんな時はお互いさま! 『お金なんて取れるか!』 という想いです。
でも、二か月もしていると社員や職人さんへの給与や支払いもあり、その上工事は進まず着工もできない状態でしたから正直、経営者として辛い時もありました。
東北や浦安には状況視察には行きましたが、作業をするということはありませんでした。
もちろん被害は酷かったですが、地元栃木も大きな被害がでています。地元を投げ出して外に出る気にはなれませんでした。
違う形で何かできないか、個人的にできることは被災者の受け入れでした。
時期をずらしてではありますが、東北の二家族を個人所有の空き部屋があったのでそこに受け入れをしました。
一週間もお風呂に入れずさまよった結婚前のカップル。
放射能の影響で避難してきた五人家族。
生々しい現実の話を聞かせて戴きました。
この一年で150件以上の修復と診断をさせていただきました。
今なお未改修のまま不安を抱えている多くの方もいらっしゃいます。
私たちにできることは少しでも多く、地震に強い家、災害に強い住まいを造ることと、危機管理体制を強化すること。
今回感じたことは、震災の時地元では自分たちの事で精一杯になります。
全国の工務店どうし協力し合える体制作り、チーム作りを進めていきたいと感じております。