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Date:2016.03.11

工務店の役割

こんにちは。 薄井工務店代表の薄井です。
 
2011年3月11日 東日本大震災から丸5年になりました。
当時、私はあるお客様の打ち合わせで岡本におり、そこで地震に遭遇しました。
打合せは即中止!私の3人の子供たちはそれぞれ地元から離れており、誰も連絡が取れない状態でした。

会社、社員に連絡するもどこも繋がらず、信号の消えた環状線を1時間半かけて事務所までたどり着き、社員の連絡が全て取れたのを確認してからそれぞれ早めに自宅に戻し、最後に私も帰宅することにしました。

自宅も停電でしたが何やら水の音?音の方向に近づいてみると、何とキッチン水栓が揺れで開いてしまい、そこに落ちたお皿が排水溝を塞ぎシンクから流れ出た水は1階の収納から床下まで流れ水浸しになってしましました。(2階キッチンのため)
 
まずは自宅の処理をし深夜に床につきましたが、その時は世の中の本当の被害状況がまだわからずにいましたが、翌朝電気がつながり震災後初めてテレビを見たときは愕然としました。

工務店にできること。

5時前にはすぐ会社に向かい、社員達にも早めの出社を要請。5台の電話で一斉にお客様へ被害状況の確認連絡をとりました。その間、ブルーシートを50枚ほど購入し大工さんを集め社員職人で3班に分かれて 被害のあったお客様宅へ住まいの応急処置に向かいました。私は連絡のつかないお客様宅を1軒1軒回り被害状況の確認。
 
10時過ぎにシートが足りなくなるとの連絡があり金物屋、ホームセンターをまわった時にはすでに何処も売り切れ在庫もありませんでした。すぐに東海、関西方面の工務店仲間にお願いしたところ、翌日には数百枚のシートが届き本当に助かりました。応急処置は2週間以上続きましたが、直接のお客様以外にその身内知人宅の処置依頼も多く、5日ほどで100件以上の依頼となりました。
 
余震のある中での屋根の上の作業であったため思うように進まず、危険な状態ではありましたがそれでも少しずつ処置をすることはできました。辛いのは作業をしていると、近所の方が家も家もしてほしいと来られるのですが、どうしても次の予定があり処置をして差し上げることができなかった。 本当に申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
 
私たち応急処置には一切お金を戴くことはありませんでしたが、震災から数日後には他県から来て応急処置に10万以上のお金をとる業者もあったようで、地元の工務店としてもっと危機管理の準備をしておくべきであったと反省しました。応急処置が落ち着いてきた頃には、本格復旧の準備ですがその前に地震保険の査定立ち合いの依頼などが多くありました。
 
幸い栃木には海がなく東北地方のように津波の被害はありませんでしたが、それでも県内全域で1000件以上の全半壊の建物があり、まだまだ旧耐震以前の古い建物が多いことが実感しました。
 
生命と財産を守るはずの家が凶器になっては大変なこと!
私たち地元の工務店にできることは何か。

■災害危機管理と処置準備を整えること。
■建物の災害リスクをしっかりと伝えること。
■1軒でも多く安心できる家を造っていくこと。

これからもしっかりと気を引き締めて取り組んでまいります!

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